坂の上の雲(四)

新装版 坂の上の雲 (4) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (4) (文春文庫)

奥は包容力に飛んでいる.彼は細かい作戦計画や作戦判断にいちいち口出しせず,「すべて参謀長に任せる.二者択一をせまられたときか,戦況が紛糾しきったときにのみ自分が決をくだす」と,最初からそのような方針でいた.

当たり前のことをいうようだが,有能とか,あるいは無能とかいうことで人間の全人的な評価を決めるというのは,神をおそれぬしわざであろう.ことに人間が風景として存在するとき,無能で1つの境地に達した人物のほうが,山や岩石やキャベツや陽射しを貯める水溜りのように,いかにも造物主がこの地上のものをつくった意志にひたひたと適ったような美しさをみせることが多い.
日本の近代社会は,それ以前の農業社会から転化した.農の世界には有能無能のせちがらい価値基準はなく,ただ自然の摂理に逆らわず,暗がりに起き,日暮れて憩い,真夏には日照りのなかを除草するという,生真面目さと精励さだけが美徳であった.
しかし,人間の集団には,狩猟社会というものもある.百人なら百人というものが,獲物の偵察・射手.勢子といった具合にそれぞれの部署で働き,それぞれが全体の一目標のために機能化し,そしてその組織をもっとも有効に動かすものとして指揮者があり,指揮者の参謀がいる.こういう社会では,人間の有能無能が問われた.
軍隊が,それに似ている.
世界史からみて,狩猟民族や遊牧騎馬民族が軍隊をつくることに熟達し,しばしば純農業地帯に侵入して征服王朝をつくったのは,彼らが組織をつくったり,その組織を機能化したりすることが,日常的に慣れていたからであった.シナ本土の農業地帯が,数千年のあいだ,中央アジア満州から侵入してくる騎馬民族に悩まされ続けたのはそれであり,ヨーロッパの歴史もそれとかわらないが,ヨーロッパの場合,本来が,狩猟と牧畜の色合いが濃く,しばしば騎馬民族の侵略に悩まされたために,早くから人間の集団を組織化するという感覚に習熟していた.ということは同時に,人間を無能と有能に色濃くわけてその価値を決めるという考え方に慣れていた.そうでない極端な社会の例がインドであろう.インドとその文明には人間をそのようにして分類するという考え方が,まったくといっていいほど欠落していた.
明治後,日本はアジアで最初の近代革命をおこない,とくに軍隊を様式化した.洋式の組織という異物を,この農業国家にねじ入れた.ところがすぐさまそれをこなしてしまったのは,日本人がその言語がそうであるように,あるいは北方の騎馬民族の血を濃厚にひいているせいであるのかもしれない.

総大将の任務というのは,最低限それであった.人心を統一し,敵にむかって士気を高め,いささかの敗北心理を持たせない,というのが,国家と国民が軍隊統率者に期待し要求しているところの資質であり,行動である.作戦のごときは,ときには参謀まかせでもいい.「敗けいくさになればわしが指揮をとります」といったのは日本の全野戦軍の総司令官である大山巌のことばであり,かれの言葉は統帥というものの本質を示している.軍隊から集団恐怖や妄想や敗戦心理を取り去るのが統帥であった.