器量

人間の器量 (新潮新書)

人間の器量 (新潮新書)

あの人は器量があると云えば,なんらかに卓越した,人と違う能力や度量を備えているだけではなくて,包容力や感受性の深さといった要素も加味しての評価になる.
人間としての大きさ,深さを象徴するものとして,器と言う言葉が用いられ,そのなかで波打つ想いや感情の豊かさ,激しさを古くから人は忖度してきたのでしょう.心が広い,度量のある人.能力がある,役に立つというだけでなく,個人の枠,背丈を超えて,人のために働ける人.何の得にもならないことに命をかえられる.尋常の算盤では動かない人間.その一方で,妙に金銭には細かかったりして.誰もが感動するような美談をふりまくかと思えば,辟易するような醜行をする.通り一遍の物差しでは測りがたいスケールをもっているということ,それが器量人ということになるでしょう.

器量を培う道,あるいは素地として,次の五つが挙げられると思います.
修行をする,山っ気をもつ,ゆっくり進む,何も持たない,身を捧げる.

兵学校の仮借ない教育は,郷中の厳しさを受け継いだものなのでしょうか.いずれにしろ,国家の柱石となる人物をいかに作るか,という意識において当時の日本が今とはかなり違う考え方を抱いていたことは確かでしょう.国家民族の命運のためには,一個人の生命などは何ほどの意味ももたない,というような考え方が,問い返すまでもない常識として浸透していました.みずからの身の上を含めて,国のため,名誉のためには,一命を投げ出すという覚悟が,覚悟といえないほどの当たり前として徹底されていたのです.平気で生徒を殺せる教育.もちろん,教師たるもの,学生を死なせて平気であるわけがありません.しかし,その厳しさがなければ,極東の小国はなりたっていかない.だから,やむを得ずして厳しくせざるをえない.それは,教える側にも,強烈な負担と気構えを迫るものであることは間違いありません.一時期,こうしたスパルタ教育は,画一化された人間しか生まなかったと批判されました.けれでも,今,思い返してみれば,現在とは比較にならない,多彩な人物を生んでいると思うのですけれども.

ゆっくり進むというのは,一人で進むということです.孤立するということです.孤立した人ほど,世間との付き合い方を考えなければならない.冷静に自分を認識し,世間との距離を正確に見極めなければならない.

端的にいえば,イギリスは階級社会を維持したのに,日本は階級がない.ノブレス・オブリージュ,高貴な義務というのは,いざというときに,真っ先に前線に出て行って死ぬということなのです.高貴である者は,普段は労働に従事せず,学問やスポーツに精を出しているけれど,国家の危機となれば,一番先に前線に出て命を捨てる.

やみくもに上を,より高いものだけを目指しても,人の器は育ちません.異質なもの,未知なものと触れ,感応する力が必要です.器が大きいと云われるほどの人物は生涯かけて自分を新たな場所に立たせ続けてきたのではないでしょうか.

ちょっと自分には読みにくい本だった.
能力だけじゃなく,それ以外の部分の充実も大切なんだろうけど,そういう部分って計れるものでないから難しい.