酔狂に生きる

酔狂に生きる

酔狂に生きる

個人の生き方の「美」だけは,たぶん密かに,誰に言うこともなく選ぶことができる.私個人としては,むずかしいだろうが,できうる範囲で自分の中の「美」に「酔狂」に殉じたい.

戦災の後の焦土に立った人たちは,とにかく自分で生き延びることを考え,公平も平等も視野にないかのような時代を,自分なりに生き抜いた.
完全な公平を期して,不公平の是正ばかり,精神と時間を費やしていると,自分自身がほんとうにしたかったことに捧げるはずの時間を失う.

昔から,現に今生きている状況が,生命の危機に直結しているような場合には,人は決して自殺などしないものである.

他者の運命に深く心を掛ける,ということの美を日本の教育は教えなくなった.自分の権利を要求し行使することは教えたが,共に運命をいたみ,時には自分が損をしてでも相手を救うことが,むしろ最低の人間の条件だ,などとは全く教えなかった.

人間の能力の限界など,たかがしれている.疲れれば自然に,思考をやめる.新しい解決方法の展開など期待する方がむりだ.とにかく休ませてあげて,日本が原発の処理に関しても世界的な技術を見せたという結末にしてほしい.

職人国家になるには,長い年月下積みの生活に耐え,技術を学び,何よりもいいもの造りをするということを最終の目標に置く,国民的,社会的気風がなければならない.出世や収入の多さよりも「お前さん,いい作品を作りなさったね」という一言の賛辞を受けるために(いや,時には賛辞さえなくとも)自分だけが自分の作品の批評家になって納得するような仕事をするために生きる人間にならなければならない.

戦後の日本の日教組的教育は,権利ばかり教えた.つまり要求することが人権だと教えたのである.しかし人間は受けると同時に与えてこそ初めて人間になる.大人になる.成熟した人格を形成する.

自分のことだけを自分でしているようでは本当の自立じゃない.人としての義務は,人に与えることにあります.あの人たちはその部分の責任を全く果たしていない.だから少しも幸福そうには見えなかった.