坂の上の雲(三)

新装版 坂の上の雲 (3) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (3) (文春文庫)

あらゆる戦術書を読み,万巻の戦史を読めば,諸原理・諸原則はおのずから引き出されてくる.みなが個々に自分の戦術をうちたてよ.戦術は借り物ではいざというときに応用がきかない.

薩摩的将帥というのは,おなじ方法を用いる.まず,自分の実務のいっさいを任せる優れた実務家を探す.それについては,できるだけ自分の感情と利害をおさえて選択する.あとはその実務家のやりいいように広い場所を作ってやり,なにもかも任せきってしまう.ただ場を作る政略だけを担当し,もし実務家が失敗すればさっさと腹を切るという覚悟を決め込む.

日露の国交がやぶれた場合,作戦用兵の大方針は大本営が決定し,それを海上の艦隊司令長官に示達する.艦隊司令長官たる者は,大本営の手足のごとく動いてもらわねばならないが,その点,お前では不安である.お前は気に入らぬと自分勝手の料簡をたてて中央の命令に従わぬかもしれぬ.ここを考えてみよ.もしある命令を出した中央が,その命令を出先艦隊が利いていないことを知らず,艦隊が命令どおりに動いていると信じ,次の作戦計画を立てたとすれば,その結果はどうなると思う.作戦は支離滅裂になり,一軍は崩壊し,ついに国家は滅びるだろう.そこへゆくと,東郷という男にはそういう不安はいささかもない.大本営が与えるその都度の方針に忠実であろうとし,それに臨機応変の処置もとれる.戦国時代の国持の英雄豪傑と言う役割ならお前の方がはるかに適任だろうが,近代国家の軍隊の総指揮官はそうはいかない.東郷を選んだのはそういうことだ.わしはお前には変わらぬ友情をもっている.しかし個人の友情を,国家の大事に代えることはできない.

山県は総大将に不向きの男で,なにごとも我説や自分一流の好みがあり,それを下に押し付けるところがある.長州人の児玉にとって山県は長州軍閥大親玉であったが,その下では自由な活動ができないと思っていた.そこへゆくと薩摩人の大山巌は生まれながらの総大将といったところがあり,いっさいを部下に任せてしまう.児玉は,大山を頭にいただけば思う存分の仕事ができると思っていた.

19世紀からこの時代にかけて,世界の国家や地域は,他国の植民地になるか,それがいやならば産業を興して軍事力を持ち,帝国主義国の仲間入りするか,その二通りの道しかなかった.後世の人が幻想して侵さず侵されず,人類の平和のみを国是とする国こそ当時のあるべき姿とし,その幻想国家の架空の基準を当時の国家と国際社会に割り込ませて国家のあり方の正邪を決めるというのは,歴史は粘土細工の粘土にすぎなくなる.世界の段階は,すでにそうである.日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上,すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立を持たねばならなかった.日本は,その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない.もしこれを捨てれば,朝鮮どころか日本そのものをロシアに併呑されてしまうおそれがある.この時代の国の自立の本質とは,こういうものであった.

後世と言う,ことが冷却してしまった時点でみてなお,ロシアの態度には,弁護すべきところがまったくない.ロシアは日本を意識的に死へ追い詰めていた.日本を窮鼠にした.死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう.
ついでながら,ヨーロッパにおける諸国間での外交史を見ても,一強国が他の国に対する例として,ここまでむごい嗜虐的外交というものは例がない.白人国同士では通用しない外交政略が,相手が異教の,しかも劣等人種とみられている黄色民族の国ともなると,平気でとられるというところに,日本人のつらさがあるであろう.
筆者は太平洋戦争の開戦へいたる日本の政治的指導層の愚劣さをいささかでも許す気になれないのだが,それにしても東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように,アメリカ人があそこまで日本を締め上げ,窮地に追い込んでしまえば,武器なき小国といえども経ち上がったであろうといった言葉は,歴史に対する深い英智と洞察力がこめられていると思っている.アメリカのこの時期のむごさは,たとえば相手が日本でなく,ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば,その外交政略はたとえ同じでも,嗜虐的なにおいだけはなかったに違いない.文明社会に頭をもたげてきた黄色人種たちの小面憎さというものは,白人国家の側から見なければわからないものであるにちがいない.
1945年8月6日,広島に原爆が投下された.もし日本と同じ条件の国がヨーロッパにあったとして,そして原爆投下がアメリカの戦略にとって必要であったとしてもなお,ヨーロッパの白人国家の年に落とすことがためらわれたであろう.

すぐれた戦略戦術というものはいわば算術程度のもので,素人が十分に理解できるような簡明さをもっている.逆にいえば玄人だけに理解できるような哲学じみた晦渋な戦略戦術はまれにしか存在しないし,まれに存在しえても,それは敗北側のそれでしかない.
たとえていえば,太平洋戦争を指導した日本陸軍の首脳部の戦略戦術思想がそれであろう.戦術の基本である算術性を失い,世界史上まれに見る哲学性と神秘性を多分にもたせたもので,多分と言うよりはむしろ,欠如している算術性の代用要素として哲学性を入れた.戦略的基盤や経済的基礎の裏づけのない「必勝の信念」の鼓吹や,「神州不滅」思想の宣伝,それに自殺戦術の賛美とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学が,軍服を着た戦争指導者たちの基礎思想のようになってしまっていた.

戦術の要諦は,手練手管ではない.日本人の古来の好みとして,小部隊をもって奇策縦横,大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし,そのような奇功のぬしを名将としてきた.源義経鵯越の奇襲や楠木正成千早城の籠城戦などが日本人ごのみの典型であるだろう.
ところが織田信長やナポレオンがそうであるように,敵に倍する兵力と火力を予定戦場に集めて敵を圧倒するということが戦術の大原則であり,名将というのは限られた兵力や火力をそのように主決戦場に集めるという困難な課題について,内や外に対しあらゆる駆け引きをやり,いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである.あとは「大軍に兵法なし」といわれているように,戦いを運営してゆきさえすればよい.