チャレンジと練習

やみくもにリスクをおかしてチャレンジすればいい,というものではない.チャレンジの期間は,目安を決め,柔軟に対応するのが良いと思っている.


自動車の運転にたとえると,無意識のうちにブレーキをかけていることが多くなっているので,意識的にアクセルを強めに踏み込むようにしているわけだ.経験を積んだら,それでやっとバランスがとれて,スピードを出しつつも周囲の景色を楽しむ余裕ができる.自分では,このくらいが理想のリスクの取り方ではないかと思っている.

モチベーションを上げて結果を出すための方法として,目標を設定するやり方がある.目標を作ることによって,逆に義務感や強制されているという気持ちが強くなってしまい,やる気が落ちてしまうケース.目標はクリアできなかったものの,そのプロセスで多くのことを学んで,気がついてみたら実力を上げていたケース.このように目標の作り方によってまったく異なった展開が予想されるわけで,その線引きが目標の意味や価値を決めると言っても過言ではない.では,何を基準にして目標を設定すれば良いのか.私は,そのキーワードは「ブレークスルー」だと思っている.個人であれ,団体であれ,まだ届いていない領域をめざすこと.もう少し頑張れば今までと異なる景色が見える”次なるステージ”を目標とすること.これがブレークスルーだ.国家におけるブレークスルーの典型的な例が,1960年代初頭にジョンFケネディアメリカ大統領(当時)が計画した「人類初の月面着陸」(アポロ計画)ではないだろうか.

将棋に関して,師匠が弟子に「こうしなさい,ああしなさい」と言うことは,ほとんどない.直すべきところがあっても,弟子が自然と気づくまでそっとしておく.これは「自分で苦労して,自分なりの方法を見つけなさい」という無言の教えである.教えてもらう前に,自分で考える習慣をつけることが大事なのだ.私の場合,技術的なことについては,何も言われたことがなかったが,メンタル面についてのアドバイスは何回かいただいた.と言っても,具体的なことではなく「もう少しゆっくり」など,考えさせるアドバイスだ.


最近では,師匠が教えないと弟子が本当に何も勉強しないので,見るに見かねて師匠が教えるケースもあるようだ.時代も変わってきているし,すべて自主性に任せるのではうまく行かない時期が来ているのかもしれない.スポーツの政界においては,コーチが付いて指導するのは当然のことなので,そんな方向に向かっていく可能性もある.


将棋を教えるときに肝心なことは,教わる側は何がわかっていないかを,教える側が素早く察知することだと考えている.ただ基本通りに伝えたとしても,理解できることとできないことがあり,つまずきやすいポイントもある.人間というのは,自分でわかっていることに関しては手早くポイントだけを取り出して相手に教えて,たくさんの説明をつい省略してしまいがちだ.人に教えるときには,自分が理解した時点まで戻って丁寧に相手に伝えないと,うまく理解してもらえないのではないか.
また,そのプロセスのなかで,教わる側が積極的に質問することがとても重要だと思う.質問をすれば,何を理解していないのか,何を誤解しているのかが,教える側にとてもよくわかるからだ.
また,すべてを教えるのではなく大部分を伝え,最後の部分は自分で考えて理解させるようにするのが,理想的な教え方ではないかと考えている.一方的に入ってきた知識は,一方的に出て行きやすい.しかし,自分で体得したものは出て行きにくい.

全部で5章からなるが,最初の2章分が自分にとっては興味深かった.
1章では,成長するためにチャレンジすることの大切さ.
2章では,やっぱり繰り返して練習して自分の経験(血肉)とすることの大切さ.
と勝手に読み取った.
当たり前だけど,急に天才的にスキルアップする王道は無いんですね.