人生論ノート

人生論ノート (新潮文庫)

人生論ノート (新潮文庫)

幸福は徳に反するものでなく,むしろ幸福そのものが徳である.もちろん,他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい.しかし我々は愛する者に対して,自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか.
愛するもののために死んだ故に彼らは幸福であったのではなく,反対に,彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである.日常の小さな仕事から,喜んで自分を犠牲にするというに至るまで,あらゆる事柄において,幸福は力である.徳が力であるということは幸福の何よりもよく示すところである.

我々の生活を支配するギブ・アンド・テイクの原則は,期待の原則である.与えることは取ることが,取ることには与えることが,期待されている.それは期待の原則として,決定論的なものでなくむしろ確率論的なものである.このように人生は蓋然的なものの上に成り立っている.人生においては蓋然的なものが確実なものである.
利己主義者は期待しない人間である.したがってまた信用しない人間である.それゆえに彼は常に猜疑心に苦しめられる.
ギブ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である.

生活を楽しむことを知らねばならぬ.「生活術」というのはそれ以外のものでない.それは技術であり,徳である.
娯楽という概念はおそらく近代的な概念である.それは機械技術の時代の産物であり,この時代のあらゆる特徴を具えている.娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代わりに考え出したものである.
娯楽はただ単に,働いている時間に対する遊んでいる時間,真面目な活動に対する享楽的な活動,つまり「生活」とは別のあるものと考えられるようになった.楽しみは生活そのもののうちになく,生活の他のものすなわち娯楽のうちにあると考えられる.一つの生活にほかならぬ娯楽が生活と対立させられる.生活の分裂から娯楽の概念が生じた.
たとえば,自分の専門は娯楽でなく,娯楽というのは自分の専門以外のものである.画は画家にとっては娯楽でなく,会社員にとっては娯楽である.音楽は音楽家にとって娯楽でなく,タイピストにとっては娯楽である.かようにしてあらゆる文化について,娯楽的な対し方というものができた.そこに現代の文化の堕落の一つの原因があるといえるであろう.
現代の教養の欠陥は,教養というものが娯楽の形式において求められることに基づいている.専門は「生活」であって,教養は専門とは別のものであり,このものは結局娯楽であると思われているのである.