坂の上の雲(2)

新装版 坂の上の雲 (2) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (2) (文春文庫)

勇猛が自慢の男など,いざというときにどれほどの役にたつか疑問である.かれらはおのれの名誉をほしがりはなやかな場所ではとびきりの勇猛ぶりをみせるかもしれないが,他の場所では身を惜しんで逃げるかもしれない.合戦というものはさまざま場面があり,派手な場面などはほんのわずかである.見せ場だけを考えている豪傑など,すくなくとも私は家来として欲しくない.
そういう自然のおびえをおさえつけて悠々と仕事をさせてゆくものは義務感だけであり,この義務感こそ人間が動物とはことなる高貴な点だ.

人間の頭に上下などはない.要点をつかむ能力と,不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ.したがって物事ができる,できぬというのは頭ではなく,性格だ.

それから得た知識を分解し,自分で編成しなおし,自分で自分なりの原理原則をうちたてることです.自分でたてた原理原則のみが応用のきくものであり,他人から学んだだけではつまりません.

山本権兵衛という海軍省の大番頭は,かきがらというものを知っている.日清戦争をはじめるにあたって,戊辰以来の元勲的な海軍幹部のほとんどを首切ってしまった.この大整理はかきがら落としじゃ.正規の海軍兵学校出の士官をそろえて黄海へ押し出したおかげで日本海軍の船足は機敏で,かきがらだらけの清国艦隊をどんどん沈めた.

おそろしいのは固定概念そのものではなく,固定概念がついていることも知らず平気で司令室や艦長室のやわらかいイスにどっかとすわりこんでいることじゃ.
素人というのは知恵が浅いかわりに,固定概念がないから,必要で合理的だと思うことはどしどし採用して実行する.ある意味ではスペイン海軍のほうが玄人であったが,その玄人が,カリブ海で素人のために沈められてしまった.

平素,きわめて智恵に富み,しかも豪勇であるといわれている人でも,いざ戦陣にのぞみ重責の職についたため,責任の重さから心がくらみ,気が惑い,せっかくおその資質を発揮できぬという実例が多い.われわれ軍人のほとんどはナポレオンやネルソンではなく,平凡人にすぎない.平凡人であるがために責任の重さにうちひしがれるという大弱点をもつ.だから兵棋演習がいい.兵棋を動かすにあたって,重責を帯びてそれぞれが艦隊司令官,参謀長,艦長のつもりになって真剣に運用し,それをくりかえし鍛錬することによって,いかなるときでも自信と沈着さを失わぬという第二の天性を作り出すことができる,というのである.