- 作者: 司馬遼太郎,ドナルドキーン,Donald Keene
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/08/18
- メディア: 文庫
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忠義というものは,つまりその人がサラリーをじかにもらっている主人と従者の間にだけ成立するものです.たとえば,徳川将軍家というものと薩摩の島津家というもののあいだには,形式的な主従関係は成立しますけれども,あの時代の一般の人は徳川家と島津家に主従関係があるとは思っていない.島津家が徳川系列に入ったと思っているだけです.ですから子会社みたいなものです.親会社に対する主従関係はないのです.
秩序がうまくいっているのはなぜかというと,「恥ずかしいことをするな」ということがある.「そんなことを言っては笑われる」とか,「そんなことを言うと恥をかく」とか.それは要するにモラルではなく,美意識でしょう.美意識という言葉はあたるかどうか知りませんけれど,言葉がないので,美意識と言います.その美意識みたいなものだけで社会がずっと保っていた国というのは,日本だけしかないんじゃないか.
もともと神道というのは,要するにお座敷ならお座敷を清らかにしておくというだけです.べつに教養もなければ何もない.そして神様なら神様がそこにいるとしたら,その神様のいるはずの場所に玉砂利を敷いて清めておく.神道でいう清めておくということだけであって,その上に仏教や儒教が乗っかっても平気というところがあるのです.一つの神道的な空間というものが日本人にあって,その上に仏教がやってきたり,儒教がやってきたりするけれども,神道的な空間は揺るがないという感じじゃないでしょうか.