坂の上の雲(7)

新装版 坂の上の雲 (7) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (7) (文春文庫)

日本軍は奇妙な軍隊である.そのなかでもっとも愚かな者が参謀肩章を吊っている.と,太平洋戦争の末期,日本軍のインパール作戦を先制的に防いでこれを壊滅させた英軍の参謀が語っているように,軍人というのは型の奴隷であり,その型というのは,その軍隊と,それが所属する国家形態がともどもに滅び去るまで滅びない.さらに例をあげれば,天才は型の創始者であり,戦術家としてのナポレオンは自分の編み出した型として存在した.彼はその型によってヨーロッパを席巻し,その型が敵に対して通用しなくなったときに,型とともに滅びた.

これらの消息は,日本の技術の発達をよく象徴している.維新後わずか三十年で各国の水準並みの技術効果をあげたいという欲求は当然ながら真似になった.世界の最優秀の技術のサンプルをことごとく集め,その優劣を検討しつつ国産品を生み出すやりかたである.このやり方は無難でいい.しかしながらこのやり方の致命的な欠陥は,独創で開発する場合と違い,その時点における水準を凌駕することができないことであった.

ウドサァになるための最大の資格は,もっとも有能な配下を抜擢してそれに仕事を自由にやらせ,最後の責任だけは自分がとるというものであった.西郷兄弟や大山巌らと近所に育った東郷平八郎も,ウドサァであった.東郷の凄みは,秋山真之という一下級士官を発見してこれに作戦のすべてを委ねたというところにあるが,それ以上の凄みは,東郷がいったい利口だったのか馬鹿だったのか,同時代はおろか,今もってわからないところである.

日本がロシアに対して戦勝してその賠償金を取ろうとしたとき,「日本人は人類の血を商売道具にし,土地と金を得る目的のために世界の人道を破壊しようとしている」と米紙は極論して攻撃したのである.米紙の言う「人類の血」とは,白人であるロシア人の血のことをさすのであろう.中国などに加えたアジア人の血に対しては欧米の感覚ではどうやら「人類の血」としては認めがたいもののようであった.

「かならず敵は対馬から来る」という信念を堅持したのは東京の大本営と,第二艦隊の幕僚,または第四駆逐艦隊指令長官の鈴木貫太郎らいわば作戦中枢から遠い場所もしくは岡目八目というその岡目の位置にいた連中で,そういう位置にいるために客観的判断も可能であり,物事を巨視的に見ることもでき,さらには小さな現象に心をおびえさせる度合いがより少なくて済むのである.