大学とは

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

学校というのは子供に「自分は何を知らないか」を学ばせる場である.一方,受験勉強は「自分が何を知っているか」を誇示することである.たくさんの教科を学校が用意しているのは,本来生徒たちに「自分が何を知らないか,何ができないか」を知らせるためである.世の中には自分の知らないことがたくさんあるんだ,と思うことができれば,それだけで学校に行った甲斐はある.

研究者に必要な資質とは何か,ということをときどき進学志望の学生さんに訊ねられる.お答えしよう.それは「非人情」である.「不安定」な身分の若い研究者たちにとっていちばん必要な知的資質はその「不安定さ」を「まるで気にしないで笑って暮らせる」能力である.たとえ才能があっても評価されず,すぐれた業績をあげてもふさわしいポストが提供されない,という「不条理」に若手の研究者の過半はこののち耐えなければならない.この「不条理な世界」を平気で生きられる人は,二種類しかない.

  1. この世界以外でまったく「つぶしがきかない」人
  2. 自分がいま研究していることに夢中で,毎日が楽しくて仕方がない人

こういう対価と商品の等価交換という発想で学校にやってくる人たちはもう「学ぶ」ということからは原理的に疎外されている.「学ぶ」というのは努力と成果の等価交換ではないからだ.自分が何のためにそれを学ぶのか,自分が学んでいることにはどんな意味があるのか,を学び始めるときには何もわからないというのが学びの構造である.

そんな大学生って,何人おるねん!(笑)