何のために働くのか

人は彼らの何に惹きつけられるのだろう.わたしはそれを「素心」だと考える.人間は無意識に人間の「素心」を見て,「こいつはほんとうに信用できる相手だろうか?」「なかなか期待できる若者だな」などと判断しているのだ.たとえば,言い訳して逃げたくなるような苦しい場面でも,決して逃げない.「不器用でどんくさいヤツだが,こいつは逃げないな」と相手に感じさせるものが「素心」であり,それが「一緒に仕事をしたい」という信頼につながる.

竹島尖閣諸島の問題を含め,紛争のタネになるような,双方とも納得のいかない問題が横たわっていることは歴然とした事実である.だが,その事実を踏まえた上で,力を合わせればプラスになることを見出して,ポジティブな行動を起こすことも可能である.相互不信があるからこそ,それを抑制してお互いの利益になることを模索するのが「大人の知恵」というものだろう.
参考になるのは,EUの歩んできた歴史である.それぞれが怨念のようなものを抱きながらも,共同体をつくったほうがお互いの利益になるとの認識を持ち,さまざまな相互理解・相互交流のプロジェクトを粘り強く積み重ね,ようやく二十七カ国の欧州共同体構想にこぎつけた.

アジアと対峙するときにぜひ念頭に置いてほしいのが,「agree to disagree」の精神で物事を解決することである.disagreeであることを,agreeするとでもいおうか.お互いの意見に違いがあることは相違として認め,それを踏まえて,解決を模索する.「見解の相違」ということで,それ以上は踏み込んで議論しないのではなく,相手の意思に真剣に耳を傾けた上で論争を次のステージに進めて,議論を続けることだ.「あなたの主張には賛成できないが,あなたが懸命に語ろうとしてることには誠意を持って耳を傾けますよ」.そういう心構えがなければ,コミュニケーションは成立しない.相手の主張をしっかりと理解することで,自分の主張の正当性もより鮮明に見えてくる.この精神を忘れず,アジアの相互理解を粘り強く前に進める役割を,日本の若い世代に担って欲しい.

われわれに後世に残すものは何も無くとも,われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも,あの人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを,後世の人に遺したいと思います.

仕事を通じて時代に働きかけ,少しでも歴史の進歩に加わることが「生きること,働くこと」の究極の意味だと,私は考えている.

自分の責任において担うべきことは,胸を張って担い,その上で,本人の責任を問われるべきでないことで苦しむ人たちに温かい眼を向け,不条理な世の中の仕組みや制度を変える気迫を若者には求めたい.

「自分探し」はやめて,与えられた持ち場で,目の前の仕事に挑みながら「カセギ」と「ツトメ」の両立を実現する.さらに,その延長線上で,世の中をよりよい方向に変えるために力を尽くす.それが働くということではないかと,これまで繰り返し語ってきた.