東山焼窯跡

f:id:kagamino_park:20200501201657j:plain

 

ポツンと碑と説明看板があるだけでした.

ネットで調べても,それほど詳しい内容は検索されません...

看板の内容をテキストにして以下に.

 東山焼(とうざんやき)

東山焼は,江戸時代の後期に東山で始まった焼き物であります.

当時東山村の庄屋だった八代目橋詰山三郎の弟,藤作が興禅寺の南東斜面の山腹に登り窯と作業場を築き,総取締役になり,瓦職人だった池田屋弥七が陶工となって,茶碗・鉢・皿・花瓶・壺などを焼いて文政五年(1822年)から製造が始まりました.

その後,東山焼は,姫路藩家老河合寸翁の推奨によって姫路藩御用窯に指定され,天保二年(1831年)頃,姫路市山野井の男山山麓に窯を移されました.

男山に移ってからの東山焼は,青磁の逸品や京焼風のすぐれた磁器を生産し,将軍家にも献上されるなど,東山焼の名は大いに高まりました.

しかし,河合寸翁が天保十二年(1841年)に没すると男山窯は一定の役目を終えたこともあって,安政年間(1854年1860年)に藩の御用を解かれました.その後,民窯としてしばらく存続しましたが,明治に入り,製造されなくなりました.

なお,橋詰藤作および池田屋弥七の墓碑は海久寺にあります.

池田屋弥七作の狛犬は,昭和五十八年に姫路市立美術館に寄託されています.

(平成二十三年 姫路市教育委員会

 

ポイントカードを丁寧に説明いただいたK堂の店員さんにサンキューです.