会社の品格

会社の品格 (幻冬舎新書)

会社の品格 (幻冬舎新書)

出先の駅前に中古書チェーン店があったので,
大好きな108円コーナーで見つけた本.
最近の新書にしては活字が小さかったけど,
面白くて一気に読み切れた(笑).

経済合理軸だけで動くカイシャ君は,必ずしも経済合理軸で動くわけではない社会との間で,摩擦やトラブルを起こしやすい存在.これがまず,前提です.会社は何より利益の最大化という経済合理的な行動を優先させます.それは会社としては当たり前.「儲けようとして,何か悪いですか」と会社は常に言う存在なのです.
社会の感覚から完全に足が離れてしまったとき,事件や不祥事は起きます.

こういう時代になったからこそ,優秀な人間から選ばれない会社,いい人材が集められない会社は,明らかに未来が危ない,と断言できるでしょう.
どこの会社で何の仕事をするのかということが,働く個人にとって大きな「投資判断」になる時代が来ています.社員が投資しているものは,人生で最も大切なもののひとつである「自分の時間」や「自分の能力」です.だからこそ,自立的なキャリア形成の風潮が生まれつつあるのです.

組織人として高く評価されたいと思うならば,組織の論理で行動しなければなりません.出世するには,組織の論理で行動するしかないのです.たとえ社会からズレていたとしても,会社の空気に合致した行動に出ることのできる人間のほうが,会社では評価されるのです.
歪んだ組織の空気の中で出世できたとしても,その組織の外では,まったく通用しない人物になってしまう.そういうことが起こるのが,会社社会なのです.だからこそ,組織の運営には「会社の品格」が顔をのぞかせてくるのです.

よく「営業のXX部長,あいつ何とかならないかな」「開発のOO課長,あいつが悪いんだ」などという声を聞くでしょう.ところが特定の「人」を問題にし,議論を始めようとすると,まず間違いなく働き始めるのが当事者の防衛意識です.「どうしてオレが問われなければならないんだ」「オレはオレなりに頑張ってるんだ」「アイツだって問題あるじゃないか」といった声が上がる可能性が高い.自分に問題があると素直に受け入れることは,組織人として簡単にできることではありません.
しかし「間」に問題があるという認識を共有すれば,当事者も問題の存在を認めやすくなります.「たしかに,当営業部と開発部との”間”では,連携上,多少の問題があるな」というように,一方的に責任を押し付けるようなことはしないからこそ,お互いに非を認めることができる.特定の「人」にフォーカスするのではなく,「間」という目線を持つことによって,問題解決に近づけるのです.

これからの時代,社員はいつだって転職可能です.いつ逃げてしまうかもしれない魚なのだ,ということを会社は認識しておく必要があります.だからこそ,社員が社内で何を求め,何に不満を持っているのか,きちんとマーケティングしておく必要がある.
その意味では,釣った魚に餌をやらない会社は,品格のない会社と言われても仕方ない時代がすでに来ようとしています.品格のある会社というのは,社員の共感を募り,社員に”働く意味”をしっかり与えられる会社ということになります.社員が,お金以外にどんな実感を求めているのか.どんな実感を求めてこの会社に来たのか.そこを見極めて”意味”を与え続けていくことこそ,これからの会社に求められることなのです.

実はものすごく重要なのが,上司の「鼻」です.数値化できない事柄でも,自らの嗅覚で判断が下せるかどうか,ということ.「鼻」の利く上司には,自分なりの信念や,自分なりの判断軸があります.ところが,それがない上司は,判断材料として部下に数値化を求めるようになります.こうした鼻が利かない上司を持つと,部下にとっては相当に不幸です.
「それをやれば,会社にとっていくらの利益になるのか」「やったら,どれくらいコストダウンが計れるのか」とすぐに言い出す.やってみないとわからないことまで,事前にシミュレーションさせ,数値化させて,部下に提出させる.
しかし,判断材料としての数値を出させ,それを判断するだけなら,小学生でもできるわけです.数値化できない事柄を,自らの鋭い嗅覚でいかに判断するかということこそ,本当に部下が期待していることであり,上司に求められている「鼻」なのです.

こんな時代には,働く側が関心を寄せるのは,むしろ「自分が外に飛び出したときに,どれだけの値段が付くのか」「どれだけ外でも通用するポータブルスキルが付くのか」ということ.
今やワークモチベーションは非常に多様化してきています.これはつまり,カネやポストだけを軸にした「内部統合」は,もはや限界になってきているということです.

「頑張った人に,よりたくさんの報酬を,より高いポストを上げましょう.頑張れなかった人は,ちょっと我慢をしてください」.これが成果主義です.結局,カネとポストの話なのです.「ワークモチベーションの多様化」に対応できるものではなく,「カネとポストの配分ルール」の変更に過ぎなかったのが成果主義だったのです.皮肉な言い方をすれば,成果主義で実現できたのは結局のところ,総額人件費の削減だけだったのではないかと思います.

バブル崩壊後,会社はかつての「ご法度」を破ることになりました.社員との約束を一方的に反故にして,リストラという名の下に関係解消を迫ったわけです.「裏切られた」「ここまで尽くしてきたのに」といった恨み節,負の感情など,たくさんの遺恨を残す結果になってしまったのです.
辞めやすい会社の方が高く評価される.辞めやすい処遇体系を持った会社に,優秀な人材が集まる.そういう時代が,そう遠くない時期にやってくるということです

理想はこういうことです.「辞めやすい会社にいたけれど,結果的にはその会社からたくさんの意味をくみ取れた.だから30年間も勤めることができた」.これこそ,ものすごく幸せな会社と社員の関係だと思うのです.そうやって日々,満足を得てきたたくさんの社員の力によって,会社は長期の発展を続けることができるのです.
無理やり縛っておいて「辞めないほうがいいぞ」というメッセージを発する.「後から退職金の形でお金をやるぞ」と,長く勤めることを求める.これは果たして会社と社員の関係として,健全なことなのかどうか.ましてや会社が倒産してしまえば,このメッセージには応えられません.また,倒産しなくても,リストラという形で裏切ったという実例がすでにあるのです.
恨みっこなし,貸し借りもなし,結果的にお互いの共感が高まって,仕事の意味をくみ取りあいつつ過ごせる.また,会社は社員の能力を引き出しつつ,それを成果につなげて長期の発展を目指す.いつ辞めてもよかったのだけれど,結果的にお互いの努力で長期間も寄り添えた.これが,これからの会社と社員の理想の関係ではないか.

独自の規範をもつ組織においては,出世競争に敗れた人ほど社会的品格を備えている傾向がある.
会社は利潤の最大化を目指し,経済合理軸一辺倒で動く存在です.たとえ,その規範が社会的に歪んだものであったとしても,会社の中では,その規範を守ることが大切であり,利潤の最大化につながると信じているわけです.そうなれば,規範を守れない人は弾かれざるをえない.したがって,社会的品格を持っていたからこそ,歪んだ規範に過剰適応できなかった人は,組織の中では出世できなくなってしまうこともあるのです.
一方で,出世競争に勝ち残った人は,社会から見ればある意味,歪んでいる可能性がある.サラリーマン経営者は,そのことを自覚しておく必要があります.そして,まっとうな社会人としての感覚を常に意識し,律していかなければならないわけです.

会社の品格を守るためには,「経済合理軸一辺倒の会社」と,「多様な価値観が存在する社会」の”結節点”を経営者が担うという意識が必要です.

まずは,「自分株式会社」の視点を持つことです.個人のキャリア形成という観点では,自分をひとつの株式会社に見立てて,自分を経営していくという意識を持つとわかりやすいと思います.
所属している会社がおかしくなれば,それは「自分株式会社」を傷つけ,バリューを下げることになります.

「カイシャ君」と向き合うための2つ目の視点は,「時間投資家」という視点です.
自らも投資家であることを忘れず,会社に対して受け身ではなく,主体的に向き合う.そういう意識が必要です.なにより人生そのもの,命そのものである,「時間」をカイシャに投資していることを忘れてはなりません.無駄な「時間」を使うことは,それこそ命を削ることと同じ.もっともっと会社に対して,シビアな目線を持つ必要があります.そして,会社を支える当事者として,変革の担い手として,会社をよりよくしていくための努力を続けていく必要があると思うのです.

3つ目の視点は,消費者の視点です.会社の外の視点,社会人としての視点を忘れないことです.会社人であると同時に,社会人であるという認識を持ち,その間に壁を作らない.あるいは,その双方を常に行き来できる感覚を持つ.

経済合理軸で動く会社の外側には,経済合理軸だけでは動かない社会が広がっているのだということ
多様な価値観を持つ社会や,顧客との相互作用をカネに換えていくことこそ,会社にとって本質的な活動なのっだということ.そしてカネを超えたブランド,意味,物語,共感などで成り立つ共同幻想体になることによって,会社は社会と,あるいは社員との間でいい関係を築くことができ,品格を維持することができるということです.
単に会社がいくら儲けた,儲けていないということだけではなく,何を共感の軸としながら顧客やマーケットと向き合っているのか.儲け以外,給料以外のどんな軸で社員と結びついているのか.こういった指標が,可視化,数値化できる時代が待たれていると私は感じています.それができれば,日本の会社の品格は大きく変わり,結果的には国家や個人の品格も高まることになるでしょう.

社会への貢献という意味合いを,国の財政的視点から捉えてみたとすればどうでしょうか.国庫にどれだけの税金を入れたか.たくさん国庫に税金を納めた会社は立派な会社である,という視点を,もっと持っていいのではないでしょうか.会社を売上高で見るのではなく,納税額で見るという視点です.
個人に対する見方も同様です.高額の報酬を得ている彼らは,実は巨額の税金を国家にもたらしている存在でもあるのです.彼らが支払っている税金によって,どれほど国家が潤っているのか.国家的な視点に立ったとき,それを忘れてはいけないと思うのです.彼らの国への貢献を,正面から賞賛する必要があると思うのです.やっかみばかりが先行し,当たり前のことを当たり前に見ることのできない風潮は,やがて,国の大きな損失につながっていきかねない,と私は感じています.